2008年 08月 15日
父母の精霊
8月15日のもう一つの顔は〝お盆〟ですね。
このエッセイは、ある講座の課題で書いたもの、テーマは「お盆」 原稿用紙1枚(タイトル含)
原稿用紙1枚に収めるというのはとても難しいことでした。
父母の精霊
淡い水色のぼかしの地に、秋の七草模様が描かれた提灯のあかりがやさしい幼少期の思い出。あれは何という名の川だったか、盆棚に供えた野菜や果物、鬼灯などを籠に入れ、家族と一緒に〝精霊流し〟に行ったのは。
時は緩やかに流れていき、母が父を、兄夫婦が父母を迎え、送る火を燃やした〝盆〟が幾年過ぎて行ったことだろう。
そのような光景も、成人してキリスト教の洗礼を受けていた私には、お線香の匂いとともに記憶の端に留めるくらいで、徐々に無縁の行事となっていった。この時季、カトリック教会でも物故者に祈りを捧げるし、亡くなった父母や死者を想わないわけではない。
兄夫婦が引っ越し、久しく両親の位牌に手を合わせることもないが、「千の風になって」で歌われているように、父母の精霊は私の周りにいて、いつも見守ってくれている。
*****
講師評:非常に判り易い文章に好感を抱く。
「そう言えばそうだ」と納得した。こういう発見は読んでいて嬉しい。(下線:講師による)
※厳密に云えば、カトリック教会でも・・というのは、日本のカトリック教会のことで、土着の風習に合わせたものである。教会によっては「死者の日」(11月2日)に故人への祈りを行うところもある。カトリック教会では、8月15日を聖母被昇天の祭日としている。
このエッセイは、ある講座の課題で書いたもの、テーマは「お盆」 原稿用紙1枚(タイトル含)
原稿用紙1枚に収めるというのはとても難しいことでした。
父母の精霊
淡い水色のぼかしの地に、秋の七草模様が描かれた提灯のあかりがやさしい幼少期の思い出。あれは何という名の川だったか、盆棚に供えた野菜や果物、鬼灯などを籠に入れ、家族と一緒に〝精霊流し〟に行ったのは。
時は緩やかに流れていき、母が父を、兄夫婦が父母を迎え、送る火を燃やした〝盆〟が幾年過ぎて行ったことだろう。
そのような光景も、成人してキリスト教の洗礼を受けていた私には、お線香の匂いとともに記憶の端に留めるくらいで、徐々に無縁の行事となっていった。この時季、カトリック教会でも物故者に祈りを捧げるし、亡くなった父母や死者を想わないわけではない。
兄夫婦が引っ越し、久しく両親の位牌に手を合わせることもないが、「千の風になって」で歌われているように、父母の精霊は私の周りにいて、いつも見守ってくれている。
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講師評:非常に判り易い文章に好感を抱く。
「そう言えばそうだ」と納得した。こういう発見は読んでいて嬉しい。(下線:講師による)
※厳密に云えば、カトリック教会でも・・というのは、日本のカトリック教会のことで、土着の風習に合わせたものである。教会によっては「死者の日」(11月2日)に故人への祈りを行うところもある。カトリック教会では、8月15日を聖母被昇天の祭日としている。
by CK_centaurea
| 2008-08-15 15:17
| エッセイ