2008年 03月 21日
「イラク 戦場からの告発」 西谷文和
今日は「受難の聖金曜日」
DVD「イラク 戦場からの告発」は、新聞やTVの報道では見えてこない数字の裏に隠された真実が浮き彫りにされています。
第1章 しのびよる放射能の恐怖 =劣化ウラン弾被害の実態=
湾岸戦争の時には300t以上、イラク戦争の時には2000t以上の劣化ウラン弾が使われたといいます。
劣化ウランとは原発から排出されたウランの廃棄物、いわゆる核のゴミです。その劣化ウランをリサイクルしてできたのが劣化ウラン弾です。安くて破壊力のある兵器です。その劣化ウラン弾で体内被曝を受け、結果、イラク各地でガンの子供が急増しています。
アメリカは劣化ウラン弾を使用したことを認めていますが、これによってガン患者が急増したことは認めていないそうです。
アメリカからの謝罪も補償もないままに小さな命の炎が今も消えていっています。
第2章わざと残す不発弾 =「チャイルドキラー」のクラスター爆弾
サッカーボールと間違えて少年がけったのは、ボールではなく不発弾だった。
クライスター爆弾はあまりにも残酷な爆弾なので、現在国際的な禁止条約が結ばれようとしています。しかし、日本もクライスター爆弾を製造し、自衛隊が保有しています。残念ながら日本政府は使用禁止の方向に向いていない。
第3章フセインとアメリカ =隠された真実=
19990年代にフセインがクルド人地域にばら撒いた。地雷や不発弾で傷つく人が後を絶たない。
クルド人は自分の国を持たない世界最大の少数民族と呼ばれています。トルコやイラクなど周辺諸国から宇根に弾圧されてきたクルド自治区Halabjahハラブジャ。イラン、イラクの国境の街ハラブジャは「イラクの広島」と呼ばれています。
1988年3月16日。フセインはこの街に毒ガス兵器を使用しました。サリンやマスタードガスなどで一瞬にして5000人の人の命を奪ったこのとき、アメリカはこの虐殺を知っていた。もし、アメリカが本当に正義ならその時点でフセインを見逃したりできなかったったはず。しかし、アメリカはこの時、フセインを非難していない。
クルド愛国者同盟の副大臣に当時のアメリカの様子を尋ねた。
「虐殺直後にアメリカ軍が来て、フセインに罪はないと言った」
アメリカ大使もハラブジャに来たのか?
「そうだ、枯れもまたフセインに罪はないと言った」
「アメリカはフセインにハラブジャ攻撃の権利まで認めたんだ」
ぞれから15年後、今度は大量破壊兵器がないのにアメリカは一方的にイラクを攻撃。
空爆や銃撃に巻き込まれた多くの市民が殺されていった。
中東とアメリカの歴史的関係がイラストを使ってやさしく分かりやすく説明されている。
第4章急増する戦争被害者 =アメリカの犯罪を告発する=
スレイマニア市にある緊急病院。戦争で傷ついた人人々が連日のように運び込まれてくる。
少女は小学校から下校途中にアメリカ兵から狙撃された。一緒にいた友達は即死。その日、アメリカの戦車に対して仕掛け爆弾が爆発した。周囲に居る人は全てテロリストだと思い込んだアメリカ兵が無差別に銃を乱射。その中の一発が少女の足に命中した。
首都バクダッドはいまや地獄だ。アメリカ兵は極度に緊張している。少しでも不審人物と思えばテロリストと思い込み銃撃する。
イラクの隣国シリアの首都、ダマスカス。戦争から4年が経過し、多くのイラク難民がこの街に逃げ込んでいる。国連の難民高等弁務官事務所には難民申請をする難民が長打の列を作っている。
ここ、ダマスカスにもアメリカ兵に狙撃されて下半身不随となった少年がいる。銃弾は体内に入ってから爆発するタイプだった。現在も尚50を越す破片が体内に残っている。彼の夢はサッカー選手になることだった。少年の弟は「大きくなったら医者になってお兄ちゃんを助けてあげたい」と言った。通訳の青年は言葉を失った・・・。
難民は周辺国に逃げているわけではなく、もっと深刻なのは国境を越えることの出来ないイラクの国内避難民だ。
キルクークスタジアム。戦争後、このサッカースタジアムは難民キャンプになっている。選手のロッカールームはそれぞれの難民の家。電気は1日1時間。水は3日に一度だけやってくる給水車の水だけ。そんな難民生活が4年以上続いている。
石油よりもお金よりも大事なもの。それは人々が平和に生きる権利なのではないだろうか。
第5章戦争あかん =イラクから日本へ=
イラクに入国し、多くの戦争被害者と出会いました。
戦争とは大量の人殺しです。
日本には、戦争をしない、軍隊を持たないと決めた憲法があります。
多くのイラク人は東京と大阪を知らなくてもヒロシマ、ナガサキは知っています。
アメリカに空爆され、焼け野原になったにもかかわらず、平和のうちに復興した日本を尊敬しています。
そんな日本で今、平和憲法を変えてしまおうとする動きがあります。
アメリカの戦争に協力し、人殺しの手助けをしたくはありません。
この映像を広げていただき、憲法9条を守る運動の一助にしていただければ幸いです。
製作:イラクの子どもを救う会
企画・取材・撮影・脚本:西谷文和
撮影:イサーム・ラシード 吉田満
編集:ゆう企画
イラクの子どもを救う会
http://www.nowiraq.com/
イラクの子どもを救う会ブログ
http://www.nowiraq.com/blog/
この取材は2006年から2007年にかけて行われたものです。
DVD「イラク 戦場からの告発」は、新聞やTVの報道では見えてこない数字の裏に隠された真実が浮き彫りにされています。
第1章 しのびよる放射能の恐怖 =劣化ウラン弾被害の実態=
湾岸戦争の時には300t以上、イラク戦争の時には2000t以上の劣化ウラン弾が使われたといいます。
劣化ウランとは原発から排出されたウランの廃棄物、いわゆる核のゴミです。その劣化ウランをリサイクルしてできたのが劣化ウラン弾です。安くて破壊力のある兵器です。その劣化ウラン弾で体内被曝を受け、結果、イラク各地でガンの子供が急増しています。
アメリカは劣化ウラン弾を使用したことを認めていますが、これによってガン患者が急増したことは認めていないそうです。
アメリカからの謝罪も補償もないままに小さな命の炎が今も消えていっています。
第2章わざと残す不発弾 =「チャイルドキラー」のクラスター爆弾
サッカーボールと間違えて少年がけったのは、ボールではなく不発弾だった。
クライスター爆弾はあまりにも残酷な爆弾なので、現在国際的な禁止条約が結ばれようとしています。しかし、日本もクライスター爆弾を製造し、自衛隊が保有しています。残念ながら日本政府は使用禁止の方向に向いていない。
第3章フセインとアメリカ =隠された真実=
19990年代にフセインがクルド人地域にばら撒いた。地雷や不発弾で傷つく人が後を絶たない。
クルド人は自分の国を持たない世界最大の少数民族と呼ばれています。トルコやイラクなど周辺諸国から宇根に弾圧されてきたクルド自治区Halabjahハラブジャ。イラン、イラクの国境の街ハラブジャは「イラクの広島」と呼ばれています。
1988年3月16日。フセインはこの街に毒ガス兵器を使用しました。サリンやマスタードガスなどで一瞬にして5000人の人の命を奪ったこのとき、アメリカはこの虐殺を知っていた。もし、アメリカが本当に正義ならその時点でフセインを見逃したりできなかったったはず。しかし、アメリカはこの時、フセインを非難していない。
クルド愛国者同盟の副大臣に当時のアメリカの様子を尋ねた。
「虐殺直後にアメリカ軍が来て、フセインに罪はないと言った」
アメリカ大使もハラブジャに来たのか?
「そうだ、枯れもまたフセインに罪はないと言った」
「アメリカはフセインにハラブジャ攻撃の権利まで認めたんだ」
ぞれから15年後、今度は大量破壊兵器がないのにアメリカは一方的にイラクを攻撃。
空爆や銃撃に巻き込まれた多くの市民が殺されていった。
中東とアメリカの歴史的関係がイラストを使ってやさしく分かりやすく説明されている。
第4章急増する戦争被害者 =アメリカの犯罪を告発する=
スレイマニア市にある緊急病院。戦争で傷ついた人人々が連日のように運び込まれてくる。
少女は小学校から下校途中にアメリカ兵から狙撃された。一緒にいた友達は即死。その日、アメリカの戦車に対して仕掛け爆弾が爆発した。周囲に居る人は全てテロリストだと思い込んだアメリカ兵が無差別に銃を乱射。その中の一発が少女の足に命中した。
首都バクダッドはいまや地獄だ。アメリカ兵は極度に緊張している。少しでも不審人物と思えばテロリストと思い込み銃撃する。
イラクの隣国シリアの首都、ダマスカス。戦争から4年が経過し、多くのイラク難民がこの街に逃げ込んでいる。国連の難民高等弁務官事務所には難民申請をする難民が長打の列を作っている。
ここ、ダマスカスにもアメリカ兵に狙撃されて下半身不随となった少年がいる。銃弾は体内に入ってから爆発するタイプだった。現在も尚50を越す破片が体内に残っている。彼の夢はサッカー選手になることだった。少年の弟は「大きくなったら医者になってお兄ちゃんを助けてあげたい」と言った。通訳の青年は言葉を失った・・・。
難民は周辺国に逃げているわけではなく、もっと深刻なのは国境を越えることの出来ないイラクの国内避難民だ。
キルクークスタジアム。戦争後、このサッカースタジアムは難民キャンプになっている。選手のロッカールームはそれぞれの難民の家。電気は1日1時間。水は3日に一度だけやってくる給水車の水だけ。そんな難民生活が4年以上続いている。
石油よりもお金よりも大事なもの。それは人々が平和に生きる権利なのではないだろうか。
第5章戦争あかん =イラクから日本へ=
イラクに入国し、多くの戦争被害者と出会いました。
戦争とは大量の人殺しです。
日本には、戦争をしない、軍隊を持たないと決めた憲法があります。
多くのイラク人は東京と大阪を知らなくてもヒロシマ、ナガサキは知っています。
アメリカに空爆され、焼け野原になったにもかかわらず、平和のうちに復興した日本を尊敬しています。
そんな日本で今、平和憲法を変えてしまおうとする動きがあります。
アメリカの戦争に協力し、人殺しの手助けをしたくはありません。
この映像を広げていただき、憲法9条を守る運動の一助にしていただければ幸いです。
製作:イラクの子どもを救う会
企画・取材・撮影・脚本:西谷文和
撮影:イサーム・ラシード 吉田満
編集:ゆう企画
イラクの子どもを救う会
http://www.nowiraq.com/
イラクの子どもを救う会ブログ
http://www.nowiraq.com/blog/
この取材は2006年から2007年にかけて行われたものです。
by CK_centaurea
| 2008-03-21 23:32
| 映画・DVD・TV・演劇