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さもない日々の暮らしの中で ・・・  danslavie.exblog.jp

さもない日常の中で、出合ったこと、気になること、感じたこと・・・。


by CK_centaurea
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沖縄慰霊の日

沖縄慰霊の日_e0057640_155305.jpg
♪平和の裏の悲しみ 忘れない

「6/23」

今でも目をつぶると思い出すよ
現実には考えられない日々がそこにはあったの
よく晴れた空の下
鉄の雨が降り光りと共に大地は赤く染まっていったわ
私は我が子を抱え、
小さな命の灯が消えないように必死で守ったの
ガマ(防空壕)の中に隠れ
我が子が声を漏らさぬよう、強く、強く抱きしめ
もう少しだけ、もう少しだけ、がまんして…
気づいたら私の腕の中で小さな命の灯は消えていたの
頬には一粒の涙が流れていたわ
僕の心に響く 平和の裏の悲しみの音が
この日を忘れない 一歩を踏み出したこの日を
空はあの日と変わらす青いままで
海は深く…
あなたにも感じてほしい
あなたにも祈ってほしい
あなたは何を感じますか?
あなたは何を祈りますか?
この歌をみんな忘れないで
悲しい現実があったことを


 沖縄出身の3人を含む5人で作るバンドの名は「ティダヌアーグ」=写真。宮古地区の言葉で「太陽の唄」を意味する。
フリーターでボーカルの儀間博成さん(25)が曲作りを決意したのは、終戦60周年の05年6月にみた沖縄戦のテレビ映像がきっかけ。戦争を直接体験した語り部が、高齢で次々と亡くなっていることも初めて知った。
 50代の両親に戦争体験はない。あらためて沖縄戦の本を買い集め、インターネットで話題を拾った。 
 体験談の中に、避難壕の中で泣きやまない子の口をふさぎ、死なせてしまった母親の悲話があることを知った。「沖縄戦の最も残酷な場面のひとつだ」
 そう感じ、曲のイメージを膨らませたという。
 1945年6月23日は、沖縄戦で日本軍による組織的抵抗が終わった日とされる。沖縄では「慰霊の日」として休日になり、毎年、最後の激戦地だった糸満市摩文仁の平和記念公園で追悼式が開かれる。この慰霊の日をあえて曲名にした。 
(朝日新聞2007年6月23日付け朝刊より 一部割愛)

沖縄慰霊の日_e0057640_1652363.jpg バンド名「ティダヌアーグ」で、灰谷健次郎さん著の「太陽の子」(理論社刊)を思い出しました。
「太陽の子(てだのふあ)てだ は太陽、ふぁ は子……てだのふぁ はふうちゃんのことなんや。」
「あとがき 遺されたふたりの子どもたちへの手紙」の中で、灰谷健次郎さんは次のように書かれています。
 「まさゆき君くにひろ君。
 今の日本を見ていると悲しくなります。あなたたちの亡くなったおとうさん、つまり、ぼくの兄は地下で何を思っているのでしょうか。日本という国の為に、命を捨てていった数十万、数百万の人々は、どのような涙を流せばいいのでしょうか。
 死せる人々に応え得るような『生』が、今の日本にないとしたならば、この日本という国は、いったい何なのでしょうか。」
 

 30年前の灰谷さんが憂いた日本は何も変わっていません。むしろ、もっと悪い方向に行っています。沖縄の集団自決や従軍慰安婦に軍の関与がなかったと、あったことをなかったことにしてしまう日本。「美しい国・日本」は日本のどこを見て、どこを指していう言葉なのでしょうか。
 
 30年前に読んだ「太陽の子」。当時は〝沖縄〟のことをよく知りませんでした。今、読み返せばもう少しは理解できるでしょうか。西側に向いた本棚から、陽に焼けた「太陽の子」を取り出しました。

 今朝、携帯に沖縄の友人からメールが届きました。
「祝・結婚記念日!平和巡礼で歩いてます。岡山グル―プをガイド中。午後は嘉手納へ。」

 そう、今日は私たちの33回目の結婚記念日です。
by CK_centaurea | 2007-06-23 16:04 | ニュース・新聞記事から