さもない日々の暮らしの中で ・・・  danslavie.exblog.jp

さもない日常の中で、出合ったこと、気になること、感じたこと・・・。


by CK_centaurea
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カテゴリ:詩( 7 )

贈りたい詩

 心も身体も「よいしょ」っと、頑張っているあの人に贈りたい工藤直子さんの詩。

あなたのそばの「のほほん」によろしく

「きりり・きっぱり」と
「のんびり・のほほん」は
まるでハンタイだけれど
もしかすると「なかよし」ではなかろうか?

息を「すう」と「はく」
みたいにね……だって
すわなきゃ はけないし、さ
はかなきゃ すえないもん

「きりり・きっぱり」と
「のんびり・のほほん」は
きっと かわりばんこに
やってくるんだよ 息みたいに

バタバタいそがしくて
「きりり・きっぱり」はりきっている……
……そんなときこそ すぐそばで
「のんびり・のほほん」が
(あーそぼ)と まっているはず
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あなたのそばの「のほほん」はいかがですか
どうぞよろしくおつたえください
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(あーそぼ)という声に応えてくださいね。
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by CK_centaurea | 2008-12-04 17:08 |

倚りかからず  

「こう生きたい」と思うことを、茨木のり子さんのこの詩に託して・・・。

倚りかからず

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

(茨木のり子「倚りかからず」筑摩書房 より)
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by CK_centaurea | 2006-11-02 01:20 |
そのタイトルに惹かれて手にした茨木のり子さんの詩集。
茨木のり子さんは2006年2月、死去されました。これは最後の詩集。
表題と同じ題の詩が収録されていて、その詩がとても好き。
でも、今日の心境は〝苦しみの日々 哀しみの日々〟
「それはひとを少しは深くするだろう」と、茨木のり子さんは書いている。
「はしゃぎや 浮かれのなかには 自己省察の要素は皆無なのだから」とも・・・。
自己を省察することはとても大事なことであるとは思うし、日々そのように生きたいとも思う。
でも、時々、そこから逃げ出したいときもある。
能天気だったらどんなに楽だろう・・と思うこともしばしば。
自己の省察のみならず、時には他者にそれを要求して追い込んでしまっているのでは?
苦しみや哀しみに打ち勝ったときだけ、人は深くなれるのですね。
でも、自分で「受けとめるしかない」と分かっていても、
誰かに預けたくなったりして・・・。

e0057640_085181.jpg 苦しみの日々 哀しみの日々 

 苦しみの日々
 哀しみの日々
 それはひとを少しは深くするだろう
 わずか五ミリぐらいではあろうけれど

 さなかには心臓も凍結
 息をするのさえ難しいほどだが
 なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
 あれはみずからを養うに足る時間であったと

 少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
 やがては解るようになるだろう
 人の痛みも 柘榴のような傷口も
 わかったとてどうなるものでもないけれど
          (わからないよりはいいだろう)

 苦しみに負けて
 哀しみにひしがれて
 とげとげのサボテンと化してしまうのは
 ごめんである

 うけとめるしかない
 折々の小さな刺や 病でさえも
 はしゃぎや 浮かれのなかには
 自己省察の要素は皆無なのだから

(「倚りかからず」 茨木のり子 筑摩書房 より)
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by CK_centaurea | 2006-11-01 00:20 |

紅葉事典

 クレヨンハウスから発行されている月刊誌「クーヨン」(オーガニックな「育児と育自」マガジン)にこんな歌が載っていました。
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紅葉事典   歌詞:新沢としひこ

カエデ ハルニレ オオモミジ イチョウ ノブドウ ヤマノイモ
スズカケノキ オカトラノオ ウラジロナナカマド
赤く黄色いおくりものが 今年も届きます

コナラ ニシキギ ポプラ アセビ ナンテン カナメモチ
イロハカエデ ハウチワカエデ オオヒョウタンボク
赤く黄色く夕焼け色に 今年も染まります 今年も染まります


紅葉狩りにはもう行かれました?
何種類の紅葉を見つけられるでしょう。

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by CK_centaurea | 2005-11-11 17:29 |
子供について
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そこで、子供を胸にかかえた女が言った。
お話ください。子供のことを。
アルムスタファは言った。

あなたの子は、あなたの子ではありません。
自らを保つこと、それが生命の願望。
そこから生まれた息子や娘、それがあなたの子なのです。
あなたを通ってやって来ますが、あなたからではなく、
あなたと一緒にいますが、
それでいてあなたのものではないのです。
子供に愛を注ぐがよい。でも考えは別です。
子供には子供の考えがあるからです。
 
あなたの家に子供の体を住まわせるがよい。
でもその魂は別です。
子供の魂は明日の家に住んでいて、
あなたは夢のなかにでも、そこには立ち入れないのです。
子供のようになろうと努めるがよい。
でも、子供をあなたのようにしようとしてはいけません。
なぜなら、生命は後へは戻らず、
昨日と一緒に留まってもいません。

あなたは弓です。
その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます。
射手は無窮の道程にある的を見ながら、
力強くあなたを引きしぼるのです 。
かれの矢が遠く遠くに飛んで行くために。
あの射手に引きしぼられるとは、
何と有難いことではありませんか。
なぜなら、射手が、飛んで行く矢を愛しているなら、
留まっている弓をも愛しているのですから。

カリール・ジブラン 著 佐久間 彪  訳


私の好きなフレーズは、
「あなたを通ってやって来ますが、あなたからではなく、あなたと一緒にいますが、それでいてあなたのものではないのです。」
「あなたの家に子供の体を住まわせるがよい。でもその魂は別です。子供の魂は明日の家に住んでいて、あなたは夢のなかにでも、そこには立ち入れないのです。」

※ “子供”という表記の仕方には諸説ありますが、ここでは「至光社」発行の佐久間彪氏の訳文のままに載せました。因みに私は“子ども”と書きます。


 これから三つ子のオカンとオトンになる若きカップルと、オカンからオバン?バーバ?グランマ?・・・?になる友へ、この詩を贈ります。
 とかく、子どもを自己の所有物のように思ってしまう、わたし自身も含めた世の多くの母親に、戒めの言葉として、この詩を贈ります。

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by CK_centaurea | 2005-09-30 12:25 |
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結婚について
(預言者)

カリール・ジブラン
佐久間 彪  訳

するとアルミトラが再び口を開いて言った。
師よ。お話ください。結婚について。
アルムスタファは答えて言った。
あなたがた二人は一緒に生まれた。
それで、いつまでも一緒なのです。
共に過ごした月日を死の白い翼が散らしても、
あなたがたは一緒なのです。
まことに、神の静かな追憶のうちでさえも、
あなたがた二人は一緒なのです。
しかし、それほど一緒の二人のあいだにも、
自由な空間を置きなさい。
そして、そこに、天からの風をそよがせなさい。

愛し合っていなさい。しかし、愛が足枷にならないように。
むしろ二人の魂の岸辺と岸辺のあいだに、
動く海があるように。
おたがいの杯を満たし合いなさい。
しかし、同じひとつの杯からは飲まないように。
おたがいにパンを分け合いなさい。
しかし、同じひとつの塊を食べないように。
一緒に歌い、一緒に踊り、共に楽しみなさい。
しかし、おたがいに相手をひとりにさせなさい。
ちょうど、リュートの弦がそれぞれでも、
同じ楽の音を奏でるように。
おたがいに心を与え合いなさい。
しかし、自分をあずけきってしまわないように。
なぜなら、心というものは、
あの生命の手だけがつかむもの。
一緒に立っていなさい。
しかし、近づき過ぎないように。
なぜなら、神殿の柱はそれぞれ離れて立ち、
樫の木と杉の木は、おたがいの陰には育たないのですから。


私の好きなフレーズは、
「自由な空間を置きなさい。そして、そこに、天からの風をそよがせなさい。」
「むしろ二人の魂の岸辺と岸辺のあいだに、動く海があるように。」
「樫の木と杉の木は、おたがいの陰には育たないのですから。」
これって、結婚生活だけではなく、友達とか、人間関係でも言えることですよね。

※レバノンの詩人、哲学者、画家であったジブランの「The Prophet(預言者)」は、
30数ヶ国語に訳され、現在もなお世界の人びとに愛読されているそうです。


この夏に計画していて頓挫した事の一つは、部屋の片付け。物が捨てられない私の部屋は“ゴミ屋敷一歩手前”っていうのは大袈裟ですが、それでもモデルルームみたいな部屋が好きな人からみたら、そういえるかも・・。とにかく、「『捨てる!』技術」(辰巳渚:著)や「少ないモノでゆたかに暮らす」(大原照子:著)などという本を買って読んでも、結局捨てられない。これって、モノを増やしただけ?今日は一念発起、部屋の片付け!を、していて上記の本を見つけました。手のひらサイズなので本箱ではなくモノの間から見つけ、久しぶりに読みました。またまた片付け中断。これ以外にも、アラッ!お久しぶり!の本たちにあってしまって、立ち話(?)これではまたまた計画くずれ。まっ、明日もあるさ!この散文詩、結婚式のスピーチにいかが?

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by CK_centaurea | 2005-09-29 20:54 |

夏が終わりました・・・

e0057640_19471333.jpgカレンダーではもう夏が終わりましたね。バス停に往く道に木槿花(ムクゲ)が咲いています。夏の暑い盛りにも清清しい花姿でした。高校生時代、校舎の2階から見下ろすと、北側の薄暗い庭に白い花がひときわ浮かぶように咲いていました。とても大きな木でした。その花の名前がムクゲだということ、そして韓国の国花であることを知ったのは、ずいぶん後になってのことでした。散っては咲き、散っては咲く生命力の強さを韓国人の歴史と性格に例えることが多いとも聞きました。


ゆれる木槿花(ムグンファ)         石川逸子

ピョンさん
プサンからあなたが抱いてきた種をまいて四年目
この夏やっと いちりん
木槿花の花が咲きました
(お国では無窮花というのですね)

花は見ている
花に見られている
e0057640_19493569.jpg「国の花だから日帝時代は植えていると引き抜かれた」
教えてくれたパコダ公園のおじいさんは
いまも元気かしら
レリーフの傍でゆれていた木槿花

花は見ている
花に見られている

この国でながれた
あなた方民族の血の上にそっと
この白い花を一つ一つ咲かせるとしたら
日本の夏は
あそこも ここも
あのダムも このトンネルも
あの議事堂も この鉱山も
ほの白く ゆれて ふるえて

ああ それでもまだまだ足りないのですね
北の曠野にも 南のジャングルにも
この花を求めて眠れない魂たちが たくさんいるのだから

花は 見ている
いちりん の 花に見られている



2000年8月12日、「平和の祈りの集い」の中で、石川逸子さんの詩の朗読をさせていただきました。
「千鳥ヶ淵へ行きましたか」朗読にあたって、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に出かけたこと、詩の中の人名を間違ってはいけないと思い、石川さんにお尋ねのお手紙を差し上げて、ご丁寧なFAXをいただいたことなど・・・
石川さんの詩に出会うたびに思い出します。
今年の夏は、「アジアを共に生きるための戦後60年集会」で上に掲げた詩に再会しました

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by CK_centaurea | 2005-09-01 00:07 |