さもない日々の暮らしの中で ・・・  danslavie.exblog.jp

さもない日常の中で、出合ったこと、気になること、感じたこと・・・。


by CK_centaurea
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異邦人(エトランジェ)たちのパリ

異邦人(エトランジェ)たちのパリ
1900―2005 ポンピドー・センター所蔵作品展
Paris du monde entier
Artistes étrangers à Paris 1900-2005


e0057640_10191850.jpg国立美術館開館記念の企画として開催された〝ポンピドー・センター所蔵作品展〟「異邦人たちのパリ」を去る5月1日に欲張り企画の美術館めぐりの一つとして観てきました。
息子たちの新生活を記念して、お馴染みのマルク・シャガール「エッフェル塔の新郎新婦」のポストカードを買ってきたのですが、好みの画家である、シャガール、モディリアーニ、カンディンスキーを差し置いて、私の心を捉えたのは、始めて知った画家である、オットー・フロイントリッヒの「私の空は赤」という作品でした。赤い空・・・それは、この時代に抗って生きた画家の思いが凝縮されているような、魂の叫びのようなものだと感じました。

以下は、今回の作品展の図録によるものです。
 
オットー・フロイントリッヒ Otto Freundlich
私の空は赤 Mon ciel est rouge
1933年 油彩・カンヴァス 162.0×130.5cm
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ミュンヘンとベルリンで歯学と美術史を学ぶ。1908年、初めてパリを訪れ、ピカソなどモンマルトルの前衛美術家グループと交流する。ドイツに戻りミュンヘンに絵画学校を開設するが失敗し、1910年からパリで暮らす。1911年、ベルリンでの「新分離派」展、1912年のケルンでの「ゾンダーブント」展などに参加する。1914年からは主にベルリンとケルンに住み、第一次世界大戦にはドイツ軍兵士として従軍する。大戦後シャルトル大聖堂のステンドグラスの製作に従事。この時の体験は、後のフロイントリッヒの「万華鏡絵画」(カレイドスコープ・ペインティング)に影響を与えたとされる。1919年、マックス・エルンストらtケルンで最初のダダの展覧会を企画。1924年、パリに戻り、前衛美術の専門誌「A bis Z」を創刊。また「アブストラクシオン=クレアシオン(抽象=創造)」に参加する。1933年、ドイツにナチスが台頭するとその作品は「退廃芸術」の烙印を押され、ドイツ国内の美術館から撤去される。彫刻(新しい)はナチスが主催する「退廃芸術展」のカタログの表紙となった。身の危険を避けるためピレネーに逃れ、そこでナチスに破壊された作品の再製作を行うが、1943年初頭に密告され、マイダネクの強制収容所で死去した。(S・H)  作品展図録より

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by CK_centaurea | 2007-05-11 21:13 | 絵画・美術館